Japanese Sweets

最近、自分の中で和菓子が来ている
きっかけは単純で、「ずっしり、あんこ」という本を読んだためである
芥川龍之介に始まり、池波正太郎、幸田文、手塚治虫、林家正蔵、糸井重里など、そうそうたるメンバーが和菓子について綴った計39名のショートショートなのだが、私は今までこういった形式のものを読んだことがなかったので、新鮮だった

数々のエピソードの中で印象に残ったのが、「おはぎ」にまつわる思い出と、「"甘党" か "辛党"か」、それに「"つぶ" か "こし" か」の話である

おはぎは、ひと昔(ふた昔?)前は当たり前のように家で作られていた
小豆を煮るところからはじめ、手間暇かけながら、家族総出(女系)で作り、それがお袋の味となって人々の舌と記憶の中に、やさしい思い出として残る
評判の家のおはぎにはお重が寄せられていたそうだ
我が家でも白玉を作ったり、乾燥寒天をもどしてあんみつを食べたりしていたが、おはぎを作った経験はなかったので、この話になんだかショックを受けた
我が家でおはぎは、完全に「買うもの」だったからだ

「甘党か辛党か」という議論と「つぶかこしか」という議論は散見するが、私はどちらに関しても中立的な立場をとっている
まず前者に関しては、私は酒も好むし甘味も好む
甘党な人は依然多いし、最近では男性が甘党を公言して肩身の狭い思いをするというご時世ではないから、この層がなくなるということはないのだろうが、純粋な辛党の人は、徐々に減っているように思う
「甘味なんざうけつけねぇ、自分は酒と塩があればいいんだ」みたいな人は、特に若い層ではそうそうお目にかかれない
そもそも若い層では酒を飲む人自体が減っているので、こういう議論自体にならないのではないだろうか
「今の若い世代は酒を飲まないんだってね〜」
ひとりで飲みに行くと、上の世代の方々から(というか周りには上の世代しかいない)決まって言われることである
その分珍しいからか、顔を覚えてもらいやすいというメリットはあるが

で、後者に関してだが、私はこの議論自体がそもそもナンセンスだと思っている
何事もそうだが、適材適所というものがあると思う
例えば鯛焼きにはつぶあんが合うし、上生菓子にはこしあんが合う
もともとこしあんは濾すぶん、つぶあんより余計に手間ひまがかかるため、上流のお菓子に使われており、庶民が普段口にするものは小豆を潰しただけのつぶあんだった
だからそれぞれ同じ出生のお菓子と合うのは当たり前だし、それを無視して私はつぶ派だ、いやこし派だという展開をするのは、私にとってはまるでいただけない話
そしてそれ以上に、「田舎しるこ」「御前しるこ」「ぜんぜい」などという、餅との相棒にそれぞれの段階の餡を合わせ、個々で美味しさを発揮している甘味も存在するのだから、美味しければこだわらなくていいんじゃないかというのが本音である

ついでに何派かという議論全般に関して、私はこれらは全て比率の問題だと思っている
というのも私には強いこだわりがなく、これ以外絶対選ばない!などというものがそもそもないためである
「普段はこちらだが、今日はこっちの気分」とか、そもそもその時の気分で全てを決めているものもあるので、なになに派と決めつけることなどできないし、そう決められることに違和感を覚えるのである

で、冒頭の話に戻るが、そういうわけで最近は時間さえあれば甘味どころを探して訪ねに行くということをしている
中でも特に美味しかったのは、原宿にある「ぎおん 徳屋」の本わらびもちと、鎌倉にある「茶房 雲母」の宇治白玉あんみつである
「ぎおん 徳屋」は京都に店を構えているが、原宿のUNITED ARROWSにもお店を出している
一度ここのわらび餅を食べてしまったら、他のものは食べられなくなるだろうし、コンビニでパックに入っているものなんて、もはやわらび餅とは認定できなくなるだろう
わらび餅もさることながら、添えられているきなこと黒蜜の薫り高く上品な味といい、サーブの仕方といい、どこを取っても非の打ち所がなく、食べ終える頃には心まで美しいもので満たされているだろう

「茶房 雲母」の名物は、白玉
ふつう「白玉」と言われて想像するものとは、文字どおり "大きさ" が違う
しかもその大きな白玉の、なんと柔らかいこと
大きくて柔らかい白玉を頬張ることはこんなにも幸せなことだったのか、ということを初めて知った 笑
そう、この白玉は "食べる" というより "頬張る" という表現の方がぴったりくるのである
お店の佇まいといい、テーブルに添えられている花といい、誠に粋なお店であった

あんみつに関して一言言うなら、蜜は別に添えてあるべきだと思う
というのも、私はいつも出された蜜を半分も使わないからだ
せっかくそれぞれの素材がよくて美味しいのに、あまりに蜜をかけすぎてしまってはそれらが消されてしまい、もったいないからである
だから、上野にある有名な甘味どころの本店で供されるあんみつはいただけない
なぜなら最初からたっぷりの蜜をかけられているためである

自分で甘味どころを巡るようになって思ったのは、今の日本の、特に都市部は、甘味を求める人には冷たいということ
洋風ものやチェーン店は数あれど、しるこの一杯を見つけるのは容易なことではないのである
それに、お客さんのほとんどがご高齢の方である
高校のとき、抹茶はス◯ーバックスの抹茶フラペチーノしか飲めないという子がいてびっくり仰天した記憶があるが、今の日本の若者の、和菓子に対する感覚はどんなものであろうか

便利な世の中になった分、逆に失ったものが多いと思う
手間暇かけて、何かを作る。そんな当たり前のことが、今の世の中ではとても難しい
何事もスピーディーにできるということは、裏を返せば、時間をかけるということが、だんだん許されなくなってきているということでもある

時間の流れが速く、変化の多い世の中だからこそ、納得いくまで時間をかけ、自分の人生が終わるその時に何か一つでも、形として残せるものがあればいいなと思う

和菓子の話をするつもりが予想外に長くなってしまった
今度家で和菓子を作ろうっと

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