Julieta

「ジュリエッタ」という映画を観た
予告を見たときから独特の鮮やかな色彩が印象に残っていて、気になっていたのだ

スペインというお国柄か、作中の色がどれも鮮やか
赤、黄色、オレンジ、青、水色・・・
南国の鮮やかさとはまた違った「重みのある」鮮やかさなので、
内容と相まって見るものに濃厚さを感じさせる

12年前失踪した娘の目撃情報を聞き、ジュリエッタは衝撃を受ける
居場所の分からぬ娘に手紙を書きながら、彼女は過去と向き合う---
という、母娘の愛をテーマにした物語

ふだんスペインの映画は見ないし、この監督の映画も初めてだったのでとても新鮮に映ったが、
個人的に母娘の愛というより人間関係全般について考えさせられる内容だと思った
そして、特に「友情」について考えさせられた

失踪した娘のアンティアには、10代のころとても親しくしている友人 ベアがいた
そのベアがのちにジュリエッタと再会したとき、アンティアとの関係について話していた内容が印象的だった

人との距離間はむずかしい
離れすぎると変わったり忘れたりするし、近すぎるとかえって重荷になったりする
親子、兄弟、友人、恋人、客、上司、、、
それぞれ悩む箇所は異なるだろうけれど、
違う人間である以上、多かれ少なかれ悩むことはあると思う

私も人間ゆえ、どの対人関係にも悩みがある
ではなぜ友情について考えたかというと、
そもそも自分の中に「友だち」というカテゴリーが存在しないことに気づいたからである
もちろん他人と話すときは便宜上友だちと言うし、
人づきあいはそれなりにしているけれど、
なんというか、とにかくそういう概念がないのである

人を判断するとき、私の中で基準は2つある
「時間」と「信頼」だ
「時間」は知り合った時期のことで、これは今のところ小学生までに知り合った幼なじみたちのことを指す
幼なじみのことは、ほぼ無条件でそれだけで安心できる
今はそうでもないが、以前は「長い時間を共に過ごした」ということにとても価値を置いていたので、幼なじみはそのなごりとも言えるかもしれない
それぞれがいまどんな状況にあるか詳しくは知らないが、彼らが元気でいてくれればと思い、それ以上のことはあまり考えない
この基準で判断した人たちは「幼なじみ」というカテゴリーに入るので、「友だち」とは感覚が異なる上、今後の人生の中で更新されることはない
(これから年を重ねていけば、「学生時代からの付き合い」というカテゴリーができるかもしれないが)

もう一つの「信頼」は、主にそれ以降に出会った人たちを判断するときの基準
人と人との関わりは(通常であれば)クレジット、相手に対する信頼で成り立っているはずなので、ある意味当然だと思われるかもしれないが
そしてこの信頼に対しては、「誠実さ」「純粋さ」「精神的成熟度」という3つの基準がある
誠実さと純粋さはそのままで、誠実に人と接しているか、その人自身が純粋な人であるかということである
何をもって純粋というかは言葉にすることが難しいが、皆さんも人と接していて、そう感じることがおありだと思う

そして精神的成熟度だが、要は「大人な思考の人」ということ
これも言葉にすると難しいのだが、いくつか要素をあげてみると、
・自立している人(他人に依存しない人)
・人の痛みがわかる人
・言葉にならない感情を理解できる人
・引き算の優しさができる人
などだと思う
よってこれらの要素がある人であれば、年齢に関係なく「大人な思考の人」という判断になる

この判断の場合でも、信頼度が高い=友だちと思うわけではなく、強いていうならば「信頼度の高い人たち」というカテゴリーに入る
よって私の中には「友だち」というカテゴリーが存在しないのである

ずっとこんな風に思っていたのかと言われると、そんなことはない
様々な経験や諸事情により、人との関わり方を考えさせられるようになって、
気づいたらそうなっていた

私も偉そうに人を判断できる立場ではないのだが、ふと引っかかったので掘り下げてみたらこんな結論に至った

コメント